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カルヴィン・ホフマン著「シェークスピアであった男[クリストファー・マーロウ]の殺害」(一九五五、一九六〇年)

公開日時:2004年07月13日 23時09分
更新日時:2008年06月20日 03時29分

平成十六年(二〇〇四年)七月十三日(火)
(第一千四回)

◯THE MURDER of the war who was 'SHAKESPEARE' by Calvin Holfman.
 1955,1960. 二六四頁

◯「シェークスピア」であった男の殺害。
 カルヴィン・ホフマン著、
 一九五五年、一九六〇年

◯「本書は、クリストファー・マーロウこそ、役者であり、ビジネスマンで
 あったウィリアム・シェークスピアの著作とされた脚本と詩の作者である
 と言うことを、五問の余地なく、証明する事である」、とされる。

◯カルヴィン・ホフマンは、米国、フィラデルフィアに生まれ、コロンビア
 大学に学んだ。

◯彼の母親は、シェークスピアが大好きで、彼が小さいときから彼を連れて、
 シェークスピアの芝居を見に行った。

◯彼が十八才のとき、彼は、古典文学を研究すると共に、シェークスピアを
 熱心に呼んだ。

◯それからクリストファー・マーロウを読み始めると、彼は、マーロウと
 シェークスピアに共通性があることに気付いた。

◯かくして、マーロウとシェークスピアの関係は、彼のライフ・ワークと成った。

◯十九年の集中的調査研究によって、一九五五年に、彼ホフマンは本書を
 出版した、と言う。

◯1960年出版の版には、末尾に補章あり。

◯筆者らは、このカルヴィン・ホフマンの古典的名著を出発点として、
 これから、本格的に、「シェークスピア問題」の研究に着手する。

◯なお、「週刊日本新聞」(345号16.7.12)、二、三頁に
 「シェークスピア問題の全体構造」と言う小論あり。

◯一六〇九年に、ウィリアム・シェークスピアの名著で、詩集が出版されたと
 言うが、これが謎だらけ。
 今に至るまで世界の「英文学界」では、おない、こでもないと、論議を、
 つづけて居ると。

◯とりわけ、この詩集は、
 W・Hにささげる、とある。

◯この「W・H」とは誰なのか。

◯カルヴィン・ホフマンは、
 この「W・H」は、マーロウのパトロン(保護者)のトーマス・ウォルシンガム
 (英国諜報機関の創立者の従弟フランシス・ウォルシンガム卿)である
 (百十五〜百十七頁)、とする。

◯マーロウ、シェークスピア問題は、
 つまり、英国をして大英世界帝国たらしめたその中枢部分、英国諜報機関と、
 緊密に結び付いて居た、と成るであろう。

◯この件は続報する。

 (了)

 




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