平成二十一年(二〇〇九年)四月五日(日)
(第二千七百四十八回)
〇日本民族は北廻りモンゴル人種と、南廻りモンゴル人種が、利根川を通じて、
鹿島香取で合流、融合したことによって成立した。
〇しかし、やがてこの日本縄文文明は、カムヤマトイワレヒコ皇朝、
初代神武天皇を先頭とするレプティリアンによって、侵略、抹殺された。
〇ここで、日本縄文文明を守るために、立ち上がったのが、八切止夫史観が証明
したように、武家政治である。
〇しかし、武家政治の先駆者、平将門はレプティリアンの手先、藤原某等によって
殺されたとき、
〇日本から気が抜けた。
〇まさしく、気抜けである。
〇この時の気抜けを、
〇日本民族は、未だ回復し得ていない。
〇将門以後、
〇武家もどきが出現した。
〇源頼朝。
〇あれは、一体何だ。
〇武家政治のごとき、かっこうをつけているけれども、
〇頼朝は公家であって、武家ではない。
〇公家とは、レプティリアンの一味であることの自己暴露である。
〇頼朝から徳川慶喜まで、
〇すべての武家もどきは、レプティリアンの奴隷だ。
〇小笠原孝次先生が断定したように、
〇カムヤマトイワレヒコ皇朝(神武天皇)は没落した。
〇しかし、小笠原孝次先生は、
〇武家政治の意味が解らない。
〇平将門と、
〇源頼朝と、
〇その間に何が存在するか、
〇八切止夫史観が論証したように、平家はシュメールから海流によって、日本列島に
やって来た、南廻りモンゴル人である。
〇つまり、平将門は南廻りモンゴル人に属したわけである。
〇将門の正当性をどのように復活させるのか、
〇我々は今ここに意識を集中しなければならない。
〇頼朝から徳川慶喜まで
〇すべての武家もどきは、レプティリアンの奴隷だ。
(了)
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