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長きにわたって、埋没させられてきた縄文日本文明の魂が、いま、アンデス、タワインティスーユ文明を発見する。

公開日時:2009年03月06日 23時28分
更新日時:2009年03月06日 23時34分

平成二十一年(二〇〇九年)三月六日(金)
(第二千七百十七回)

〇ワンカール(ラミロ・レイナガ)は、

「タワインティスーユの闘い、インカの抵抗五百年史
  -ケスワイマラ人のスペインに対する五百年戦争」

  (面影橋出版、平成二十一年二月二十五日、復刻第二版刊行)

〇筆者、ワンカール(ラミロ・レイナガ)は、この本の日本語版序文として、
 長大な論文を書いた。

〇人類は、宇宙と調和の中で生きて来た。

〇ところが、西洋は七、八千年前から一万年前、突如として自然界に対する全面戦争
 を開始したと、

〇ワンカール(ラミロ・レイナガ)のこの説は、深刻に正しい。

〇ワンカール(ラミロ・レイナガ)は、

〇西洋と言うよりは、この場合中近東を指している。

〇一万二千年前から、中近東一帯で、一大激変が生じたようである。

〇しかし、筆者(時事寸評)の見方では、

〇この激変が生じる以前に、モンゴル人種(黄色人種)はアジア大陸を北回りと南回りで、
 二つの流れに分かれてひたすら東へ向かって移住を開始した。

〇日本の偉大な歴史家の一人、白柳秀湖は、このことを述べている。

〇中近東に異変が生じる以前に、

〇そしてその異変に毒される以前に、

〇モンゴル人種(黄色人種)は、アジアと北米、中南米に移住した。

〇これこそ、人類の正統である。

〇との、説を立てる。

〇こうしてみると、モンゴル人種(黄色人種)は、
 アダムとイブの子孫に含まれないわけである。

〇我々は、

〇ワンカール(ラミロ・レイナガ)の著作をこの前提の上に立って位置付なければならない。

〇この前提と言うよりは、

〇この壮大な枠組が設定されなければならない。

〇日本列島の原住民とは何者か、

〇北回りのモンゴル人種は、日本海を渡って長野県高原地帯、そして、飛騨に定着した。

〇この人々が、縄文日本の創始者である。

〇南回りモンゴル人種は、海流に乗って、沖縄、日本列島太平洋岸に移住した。

〇北回りモンゴル人種と、南回りモンゴル人種の合流の明確な歴史的事実は、
 鹿島、香取神宮の内に示されている。

〇つまり、北回りモンゴル人種日本人と南回りモンゴル人種日本人を結び付ける主要な通路は、
 利根川であり、その流域の関東平野である。

〇北回りモンゴル人種と、南回りモンゴル人種の合流と融合は

 (1)長野、飛騨
 (2)利根川、鹿島、香取
 (3)熱田神宮、名古屋港、

 この三点を中核とした。

〇縄文日本文明は、人類正統文明の萌芽であった。
 しかしこの萌芽は、二千年前、西からの侵略者によって、つぼみのうちに摘み取られた。

〇今、我々は、縄文日本文明の魂の、そして神々の長きにわたる埋没の時代を超越して、
 アンデス文明、タワインティスーユ文明、ワンカールの著作によって、発見したのである。

(了)

 




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