平成二十年(二〇〇八年)十一月二十二日(土)
(第二千六百十四回)
◯ a warning to the hindus
by savitri devi
calcutta 1939
(『ヒンドゥーに対する警告』
サヴィトリ・デヴィ著、一九三九年、カルカッタ)
◯これは、サヴィトリ・デヴィが一九三二年、インドに移住して、ナチス的
ヒンドゥー教徒になった時期、その最初期の著作(百五十頁)である。
◯一九三九年のこの小著は、サヴィトリ・デヴィの思想のその後の展開を正しく
位置づけするために重要である。
◯これは、ヒンドゥーへの「警告」、と題される。
◯「警告」とは、どう言う意味か。
◯彼女は、どこに、ヒンドゥーの克服さるべき弱点を見出したのか。
◯ヒンドゥーは、精神を変えて、レジスタンスを準備すべし、と。
◯「レジスタンス」は、ここでは、武力抵抗、民族独立のためのゲリラ戦を意味する。
ナチス占領下のフランス人が「レジスタンス」を実行したように。
◯サヴィトリ・デヴィの「警告」は、言うまでもない。
◯ヒンドゥーは団結して戦い、英国帝国主義のインド植民地支配を転覆せよ。
◯と言う呼びかけである。
◯サヴィトリ・デヴィの思想傾向に、最も近い、当時のインドの政治的指導者
もちろん、チャンドラ・ボース!!
であっただろう。
◯チャンドラ・ボースは、インド国民会議派議長であった。
◯しかし、第二次世界大戦が一九三九年に開始されると、この機会にインドは
武力で英国と戦うべし、と主張して、ガンジーと決裂した。
◯このことは、日本では比較的よく知られている。
◯第二次世界大戦に於いて、
◯ナチス・ドイツの内部でも日本の内部でも、
ドイツは、西からインドに進軍して英帝国主義をインドから追放し、
日本は、東からインドに進軍して英帝国主義を追放し、
◯よって以てインド独立回復を支援する。
◯と言う意志が存在した。
◯この可能性は、実現しなかった。
◯しかし、にも拘らず、サヴィトリ・デヴィのナチス的ヒンドゥー教は、
山林に永遠に瞑想しつづけることがすべて。そうすれば、万事目出度し目出度し、
などと言うような次元のものではないことだけは、ここで、明確にして置く必要
があるだろう。
(了)
【註】
■日本義塾十一月公開講義案内
◎日 時 十一月二十六日(水曜日)
午後六時半~九時(六時開場)
◎会 場 文京シビックセンター 四階シルバーホール
(四階B会議室のトナリの部屋)
◎講 師 太田 龍
◎演 題 二十世紀世界最高の思想家であるかも知れない、
サヴィトリ・デヴィ(一九〇五~一九八二年)。
サヴィトリ・デヴィと現代。
◎資料代 千円
◎予約申し込み、問い合わせは日本義塾出版部へ
電話、はがきで、eメール、申し込みフォームにて。
◎W・G・タープレイ著、太田龍監訳
「オバマ-危険な正体」(成甲書房刊)
この本は、十一月二十六日の日本義塾公開講義の会場に持っていきます。
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