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二〇〇九年のライン河畔トイトブルグの森の戦役二〇〇〇年記念の年。
西暦九年のこのトイトブルグ戦役勝利こそドイツ建国記念日にすべき事件。

公開日時:2008年11月12日 00時24分
更新日時:2009年02月08日 21時17分

平成二十年(二〇〇八年)十一月十一日(火)
(第二千六百三回)

◯西暦二〇〇九年は、西暦九年、
ライン河畔のトイトブルグ teutoburg の森の戦役二千年記念の年である。

◯二〇〇七年、我々は、ドイツの反ユダヤ愛国者マンフレッド・レーダーさんを
日本に招待して会議し、共同宣言に署名した。

◯この会議の中で、私は、レーダーさんに、西暦九年、トイトブルグの戦役での、
ゲルマン連合軍のローマ軍に対する大戦役と、そこでのゲルマン軍の勝利を、
ドイツ建国記念日とすべきではないか、との趣旨のことを述べた。

◯マンフレッド・レーダーさんは、私の提案を真剣に検討すると言はれた。

◯シオニストユダヤ占領下の現代のドイツは、そのような動きは、
「ドイツ占領シオニスト権力」によって、恐らく禁止されるであろう。
と私は予想したが、

◯今日(11/11)到着した「バーンズ・レビュー」二〇〇八年十一、十二月号、
二十二頁以下に、

◯イングリット・リムランド・ツンデルの論文(『西洋を解放した戦役』)が掲載
されている。

◯この「西洋を解放した戦役」とは、西暦九年、ライン河畔トイトブルグの森の
戦役のことである。

◯二〇〇三年、
ピーター・S・ウェルズ著
「ローマを停止させた戦役」が出版された。

the battle that stopped roma
emperor augustus, arminius, and the slaughter of the legions in the
teutoburg forest
by peter s. wells

◯西暦九年、ローマ軍から離脱したゲルマンの軍人、ヘルマン(ローマ風の名前は、
アルミニウス)は、ゲルマンの部族を団結させて、トイトブルクの森の中にローマ
軍の精鋭二コ軍団二万人を完全に殲滅した。

◯もし、ヘルマンが、このトイトブルグの戦役を組織して、完勝させることがなかった
なら、

◯ローマ軍は、ライン河を超えて進軍してエルバ河に至り、全ヨーロッパ大陸を征服した
のみならず、

◯更にロシアを支配下に置いたであろう、と。

◯ローマ奴隷制帝国は、全ヨーロッパ、そして、全ブリテン、更にロシアすべてを支配
する、未曾有の奴隷制世界帝国を構築し得たであろう、と。

◯ヘルマンは、ローマ帝国の軍隊に致命的打撃を与えた。
そして、ローマは、二度とこの打撃から回復し得なかった、と。

◯ヘルマンのこのトイトブルグの戦役こそ本当の、ドイツ建国の日であると、

◯日本人は、この史実を全く意識していない。

◯イングリット・ツンデルのこの論文。
及び、ピーター・ウェルスの前出著述は、今こそすべての日本民族有志によって、真剣に
研究さるべきであろう。

(了)
 

【註】

◎「バーンズ・レビュー」二〇〇八年十一、十二月号コピー版。
一冊千円プラス送料八十円。
申し込みは日本義塾出版部へ。

◎「バーンズ・レビュー」二〇〇八年十一、十二月号、二十七頁の記事によれば、
イングリット・リムランド・ツンデルは、今、
ヘルマン(アルミニウス)の生涯の映画を製作中、とある。
 

 




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