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日本民族の歴史の中にサヴィトリ・デヴィが「マン・アゲインスト・タイム」として定義したようなものとしての人間は、存在したのであろうか。
存在したとすればそれは誰か?

公開日時:2008年10月06日 13時51分
更新日時:2009年02月27日 23時43分

平成二十年(二〇〇八年)十月六日(月)
(第二千五百六十七回)

◯日本民族の歴史の中に、サヴィトリ・デヴィが「マン・アゲインスト・タイム」として
  定義したようなものとしての人間が、出現したことはあるのだろうか?

◯日本人が、サヴィトリ・デヴィを読もうとする場合に、まず、そのことが問題とされ
  なければならないだろう。

◯人間は、
   マン・イン・タイム    (時代に順応し、時流に乗り、時代に迎合する人間)
   マン・アバブ・タイム   (時代に超越して生きる人間)
   マン・アゲインスト・タイム(時代の流れとの戦いの中に生きる人間)

◯この三つのタイプによって構成される、とサヴィトリ・デヴィは定義した。

◯これは、サヴィトリ・デヴィのオリジナルである。
  この観念はサヴィトリ・デヴィの創造である。

◯しかし、ここでの問題は、「時代」の定義である。

◯ヒンドゥー教は、時代を四つに分けるであろう。
  即ち、

  第一は、サッチャ・ユガ(真実の時代。真実を追求する時代。真実を以て生きる時代)。
  これを黄金時代とも言う。

   第二は、カリ・ユガ。暗黒の時代。

   第三は、黄金時代から暗黒時代に移行する時代。

   第四は、暗黒時代から黄金時代に移行する(回帰する)時代。

◯ヒンドゥー教は、そしてサヴィトリ・デヴィは、今、我々の生きている地球は、

◯第二の「カリ・ユガ」、暗黒時代であると言う。

◯従って、前出の、人間の三つの典型に於ける「時代」は、「カリ・ユガ=暗黒時代」
  であるとしなければならない。

◯つまり、

    ◇「マン・イン・タイム」とは、暗黒時代の時流に乗って生きる人間である。
    ◇「マン・アバブ・タイム」とは、暗黒時代の時勢に超越して生きる人間である。
    ◇「マン・アゲインスト・タイム」とは、暗黒時代の流れと戦い、暗黒時代を黄金時代
      へと転換させるべく戦う人間、を意味する。

◯と、しなければならない。

◯ヒンドゥー教の歴史観によれば、現代は暗黒時代であり、そしてこの暗黒時代は、
  六千年は続いている、と言う。

◯六千年とは、フリーメーソンの暦にひとしい。

◯フリーメーソン暦では今年は六千八年だと言う。

◯つまり「現代」は、約六千年前から始まるが、地理的にはこの「現代」=「暗黒時代」
  は、シュメール、エジプトを中心とする一帯から始まるのである。

◯「現代史」六千年は、
  シュメール、エジプトとその一帯から始まる。
  そして、そこに発した暗黒が全地球を蔽うだろう、その歴史である、と言いうる。

◯日本列島を暗黒が蔽い始めるのは、概ね、二千三百年くらい前。
  つまり、縄文時代がいわゆる弥生時代に移行したとき。

◯それから二千三百年~くらいの間に、日本列島は、暗黒に蔽はれた。

◯これが日本民族の歴史の要点である。

◯このように日本列島が暗黒になっていくとき、
  この暗黒時代と戦い、再びサッチャ・ユガ=真理の時代、黄金時代を復興させようとして
  戦った日本人は、果たして存在したのか?

◯我々が、サヴィトリ・デヴィを深く理解するためには、かくの如く、問題を提起しなけれ
  ばならないのである。

(了)

【註】

◎誰が見てもこの暗黒時代に、その時勢と戦って生きた人間である、と判断されるべき
  人物の実例を三名列記する。

  (1)安藤昌益
  (2)西郷隆盛そして西郷とともに戦死した西郷軍の戦士たち。
  (3)谷中村事件の田中正造

 




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