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「月刊日本」(平成二十年十月号)が、
「ファシズムよ、よみがえれ」(対談)、と提起した。
これは単なる冗句か。それともそうでもないのか?

公開日時:2008年09月30日 23時29分
更新日時:2009年02月27日 23時36分

平成二十年(二〇〇八年)九月三十日(火)
(第二千五百六十一回)

◯「月刊日本」平成二十年十月号は、

◯これからは、ファシズムの時代である。
と言ふ趣旨の「対談」(ヴルビッタVS佐藤優)がある。 

◯共産主義が失敗し、
今、また資本主義の大失敗が全世界の人々の目の前で展開されつつあると。

◯ファシズムの再登場は、歴史的必然であると、前出の二人は、語る。

◯ヴルビッタはムッソリーニ派ファシズム系の在日イタリ-人の学者であると言う。

◯この対談は、つまらない。
読むべき価値はゼロにひとしい。

◯しかし、今、「ファシズムよ、よみがえれ」という風潮が、日本に台頭するかも
知れない、と言うことの意味は大きいであろう。

◯それはまだ、実体のある「時代思潮」とは成っていない。

◯第一次世界大戦後、ファシズムに二つの系統が生まれた。

一つは、イタリーのファシズムであり、
二つ目は、ドイツの国民社会主義である。

◯この二つの流れは、筆者の見るところでは、全く異質であり、
両者はなにからなにまで別物である。

◯この二つをごっちゃにするようでは、お話にならない。

◯イタリアのファシズムの神話は、「ローマ帝国」であり、

◯ドイツの国民社会主義(ナチス)の神話は、ゲルマン神話であり、アーリア神話である。

◯そもそも、ゲルマンとローマ帝国は、全く、相容れない。

◯第二次世界大戦を、ユダヤ陣営、米英フランスそして共産ソ連の陣営は、

反ファシズム戦争、とした。
反ファシズム、民主主義擁護の戦争、としてプロパガンダした。

◯ドイツとイタリーは、「ファシズム」として、くくられた。

◯しかし、「ファシズム」は、イタリーの産物であり、
その指導者は、ムッソリーニである。

◯ドイツの「国民社会主義」は、当然のことながら終始、ムッソリーニの「ファシズム」
を異物とした。

◯第二次世界大戦期、日独伊三国同盟の軍事的比重は、

ナチスドイツを100とすれば、
日本は、  5
イタリーは、0.1

くらいではないか。

◯つまり、ムッソリーニのファシストイタリ-軍事的比重は、ナチスドイツに対して、
一千分の一。

◯しかし、軍事的比重は、単なる一現象に過ぎない。

◯根本問題は、思想であり、精神である。

◯日本人は、第二次世界大戦中に於いてさえも、
ドイツのナチズムと、イタリアのファシズムと、
その区別を明確に認識していない。

◯敗戦後については、言うべき何物もない。

◯ドイツのナチズムは、インドのヒンドゥー教と、半ば無意識的に結び付き、

◯チベット密教とは、或る程度、意識的に結び付きがある。

◯イタリアのファシズムにはそんなものは何もない。

◯日本はどうか。
第二次世界大戦中の日本に、ファシズムは成立したのか。
この問題はここでは省略する。  

(了)

【注】

◎今、日本でこの問題を俎上に乗せるためには、
サヴィトリ・デヴィ(一九〇五年~一九八二年)の研究が必須である。

◎我々(週刊日本新聞)は、この研究を開始しており、十一月二十六日(水曜日)
の日本義塾公開講義で、サヴィトリ・デヴィを取り上げる。

 




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