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十月十二日(日曜)午後、
タワンティンスーユ復興の戦いを支援し連帯する会(仮称)、準備会開催のご案内。

公開日時:2008年09月23日 22時20分
更新日時:2009年02月10日 23時47分

平成二十年(二〇〇八年)九月二十三日(火)
(第二千五百五十四回)

◯「タワンティンスーユ復興の戦いを支援し連帯する会(仮称)」
準備会開催のご案内。

◆日 時  平成二十年十月十二日(日曜)
午後二時~四時(開場、午後一時半)

◆会 場  文京シビックセンター三階C会議室
▽東京メトロ丸ノ内線 後楽園駅 >>> 4bまたは5番出口【徒歩3分】
▽東京メトロ南北線 後楽園駅 >>> 5番出口【徒歩3分】
▽都営地下鉄三田線 春日駅
▽都営地下鉄大江戸線 春日駅(文京シビックセンター前)
>>> 文京シビックセンター連絡通路【徒歩3分】
▽jr中央・総武線水道橋駅 >>> 【徒歩8分】

◆会場表記 日本義塾

◆資料代  千円

◆主催者  日本義塾
東京都文京区白山5-35-12 太田龍
電話03-3813-7825

◆予約申し込みは、日本義塾出版部へ、
eメール(注文フォーム)、電話、はがきで。

◯平成二十年八月十六日、
「タワンティンスーユ復興を支援し、連帯する会(仮称)」の設立宣言」を公表した。

◯それから一ヶ月余、我々はこの目的のために多くの仕事をした。

◯これらの活動実績の上に立って、ここに、
「タワンティンスーユ復興を支援し連帯する会(仮称)」の準備会を上記の通り、
十月十二日、午後開催する運びと成ったので、有志にご案内する。

◯「タワンティンスーユ」又は「タワインティスーユ」。

◯「タワ」は、ケチュア語で「4」の意味。

◯「インティ」は、ケチュア語で「太陽」の意味。

◯「スーユ」は、ケチュア語で「地方」「地域」の意味。

◯つまり太陽の照らす、四つの地方。

◯これを、スペイン侵略者、西洋植民地帝国主義者は、「インカ帝国」と称した。

◯この「インカ帝国」の語は誤りである。

◯「インカ」はタワンティンスーユ(またはタワインティスーユ)共同体のトップ
最高指導者の職名であるが、これは西洋式の「皇帝」ではない。

◯この「タワインティスーユ」は、四つの地域共同体に分けられていた。

◯「ボリビア」と称される土地は、
タワインティスーユの時代は、「コジャスーユ」と呼ばれた。

◯我々にとっての入門書は、
ワンカール(ラミロ・レイナガ)著、吉田秀穂訳
「タワンティンスーユ-インカの抵抗五百年史」
(一九九三年、新泉社、一千部限定、五千二百円プラス税、絶版)

◯この本のスペイン語原著は、
第一版一九七九年、一九八一年、
増補第二版、二〇〇五年十二月

◯ワンカール=ラミロ・レイナガ著の最初の版では、
「タワンティンスーユ」と表記されてあるが、
二〇〇五年十二月の増補第二版では、「タワインティスーユ」とある。

◯厳密に表記すれば、
「タワ(4)インティ(太陽)スーユ(地方)」と成るのであろう。

◯人類学、考古学、先史歴史学が説明しているように、我々日本民族は、
モンゴル系であり、北米中南米の原住民もモンゴル系である。

◯モンゴル人種には、北方系と南方系とある。

◯日本民族は、
北方系モンゴル人と南方系モンゴル人と、二つの流れが合流して生まれた。

◯北米中南米原住民は、北方系モンゴル人が二万年ぐらい前、アラスカに渡り、
アラスカからまっすぐに南下して、南米の南端に至るまで、この大陸のあらゆる
土地に住み着いた。

◯タワンティンスーユ人は、このモンゴル系の中で、アンデス山脈にもっとも高度
な宇宙共同体文明を建設した。

◯ワンカール(ラミロ・レイナガ)著に詳しく述べられてあるように、アンデスの
宇宙共同体は、スペイン侵略者に対して、五百年の間、戦いを続けて居る。

◯日本列島の縄文文明一万年余(一万三千年前から二千年ないし二千数百年前まで)
は、タワンティンスーユの宇宙共同体文明と同質的であり、同じ方向を歩んでいた。

◯そのことを、はっきりと自覚し、認識するところから、
我々の「タワンティンスーユ復興を支援し連帯する会」の活動は始まる。

(了)

 




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