サヴィトリ・デヴィの存在に気付くために、我々日本人は、アメリカの反ユダヤ陣営の指導者ウィリス・カート(を創立者とする『バーンズレビュー』誌)を必要とした。
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平成二十年(二〇〇八年)九月二日(火)
◯思想家としてのサヴィトリ・デヴィ(一九〇五年~一九八二年)の主著は、すべて、
◯従って、第二次世界大戦前、戦時中、敗戦後の日本人が、サヴィトリ・デヴィの
◯第二次世界大戦後、
◯日本人は、ドイツその他全世界に於ける、ナチス支持者の言動との一切の関係を ◯従って、この時期のサヴィトリ・デヴィの活動と著作を日本人が知るわけがない。
◯それでは、日本がサンフランシスコ條約によって、一九五二年四月、 ◯ドイツ内戦のナチス支持者の活動を、日本人は知り得るか?
◯この問題を理解するためには、日本人は、日独伊三国同盟の内実、その真相を知ら ◯日独同盟を推進した日本側の主力、主体は、陸軍統制派である。 ◯従って、陸軍統制派のイデオロギーが問題とされなければならない。
◯陸軍統制派は、ナチス・ドイツを軍事的同盟国とした。 ◯これは何を意味するのか。
◯陸軍の実権を握る統制派の主導下で、戦時中、日本政府は、五相会議(内閣総理大臣・
◯つまりこのようにして、日本は第二次世界大戦の同盟国ドイツと、根本的に異質な
◯この日本とドイツの異質性が、第二次世界大戦敗北後、全面的に展開され、
◯かくして我々戦後の日本人は、
◯サヴィトリ・デヴィは、英語、フランス語、ドイツ語、古典ギリシャ語、ヒンドゥー語
◯彼女は、単なる「西洋人」ではない。 ◯彼女は、熱烈なナチス支持者のインド人と結婚し、 ◯西洋式の名前を捨てて、インド式の名前(サヴィトリ・デヴィ)に変えた。 ◯彼女の主著は、すべてこのインド式名前で出版されている。 ◯このようなタイプの知識人を日本は生み出さなかった。 ◯彼女を、今の今まで日本人が知らなかったことは、必然的である。
◯彼女の存在を我々日本人に教えてくれたのは、 ◯つまり、このような迂回路を媒介することを必要としたのである。 ◯ここには、我々が集中的に取り組むべき、重要な理論的思想的仮題が存在する。 (了)
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