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サヴィトリ・デヴィの存在に気付くために、我々日本人は、アメリカの反ユダヤ陣営の指導者ウィリス・カート(を創立者とする『バーンズレビュー』誌)を必要とした。
と言うこの必然性。

公開日時:2008年09月03日 00時28分
更新日時:2009年02月10日 23時27分

平成二十年(二〇〇八年)九月二日(火)
(第二千五百三十三回)

◯思想家としてのサヴィトリ・デヴィ(一九〇五年~一九八二年)の主著は、すべて、
第二次世界大戦後、即ち、ナチスの敗北後に出版されて居る。

◯従って、第二次世界大戦前、戦時中、敗戦後の日本人が、サヴィトリ・デヴィの
存在に無縁であったことは納得できる。これは、当然そうであったろう。

◯第二次世界大戦後、
ドイツと日本が、いわゆる「連合国」の占領下に置かれて居たとき、

◯日本人は、ドイツその他全世界に於ける、ナチス支持者の言動との一切の関係を
切られて居た。

◯従って、この時期のサヴィトリ・デヴィの活動と著作を日本人が知るわけがない。

◯それでは、日本がサンフランシスコ條約によって、一九五二年四月、
いわゆる「独立」を回復したあと、

◯ドイツ内戦のナチス支持者の活動を、日本人は知り得るか?

◯この問題を理解するためには、日本人は、日独伊三国同盟の内実、その真相を知ら
なければならない。

◯日独同盟を推進した日本側の主力、主体は、陸軍統制派である。

◯従って、陸軍統制派のイデオロギーが問題とされなければならない。

◯陸軍統制派は、ナチス・ドイツを軍事的同盟国とした。
しかし、かれらは、ナチス・ドイツの反ユダヤ思想、反ユダヤ政策を受け入れること
を拒否した。

◯これは何を意味するのか。

◯陸軍の実権を握る統制派の主導下で、戦時中、日本政府は、五相会議(内閣総理大臣・
陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣)によって、ナチスドイツのユダヤ人排斥政策
を日本は、拒否することを決定している。

◯つまりこのようにして、日本は第二次世界大戦の同盟国ドイツと、根本的に異質な
存在であり続けたのである。

◯この日本とドイツの異質性が、第二次世界大戦敗北後、全面的に展開され、
戦後六十年余を経て、日本とドイツをまるで別の国にしてしまったのである。

◯かくして我々戦後の日本人は、
第二次世界大戦後、ナチス敗戦後の代表的指導的ナチス思想家、ナチス哲学者、
としてのサヴィトリ・デヴィの存在すら知らない、と言うことに成ったのである。

◯サヴィトリ・デヴィは、英語、フランス語、ドイツ語、古典ギリシャ語、ヒンドゥー語
を含む、七つの言語に熟達して居た。

◯彼女は、単なる「西洋人」ではない。
彼女は、「西洋人」の枠組と構造を完全に乗り越えた思想家である。

◯彼女は、熱烈なナチス支持者のインド人と結婚し、

◯西洋式の名前を捨てて、インド式の名前(サヴィトリ・デヴィ)に変えた。

◯彼女の主著は、すべてこのインド式名前で出版されている。

◯このようなタイプの知識人を日本は生み出さなかった。

◯彼女を、今の今まで日本人が知らなかったことは、必然的である。

◯彼女の存在を我々日本人に教えてくれたのは、
アメリカの代表的反ユダヤ陣営の指導者にして「スポットライト」「アメリカンフリープレス」
「バーンズレビュー」などを創刊した、ウィリス・カートである。

◯つまり、このような迂回路を媒介することを必要としたのである。

◯ここには、我々が集中的に取り組むべき、重要な理論的思想的仮題が存在する。

(了)

 




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