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一九〇五年生まれの現代西洋の三人の代表的思想家、

サルトル
アイン・ランド
サヴィトリ・デヴィ

をR・G・フォーラーが比較すると、どう成るか。

公開日時:2008年08月30日 23時59分
更新日時:2009年02月10日 23時24分

平成二十年(二〇〇八年)八月三十日(土)
(第二千五百三十回)

◯サヴィトリ・デヴィ生誕百年記念の、
R・G・フォーラーの論文(時代に抗して生きる女性)は、

◯一九〇五年生まれの三人の現代西洋思想家を比較して居る。
即ち、

(1)ジャン・ポール・サルトル
(2)アイン・ランド
(3)サヴィトリ・デヴィ

◯「サルトル」は、説明の必要もないほど、一応、日本でも有名であろう。
今は、どうか分からないが、少なくとも、戦後、一九七〇年代くらいまでは、
現代西洋の代表的指導者、知識人、とされて居た。

◯アイン・ランドは、米国では、今に至るまで超有名哲学者であるが、日本では
あまり知られて居ない。

◯  「結局のところ、サルトルもランドも二人とも《一人は共産主義者であり、
もう一人はリバータリアン的個人主義であるが》ユダヤ超至上主義を例外
として、すべての人種的民族主義に反対する点では一致する。(ランドは
ユダヤ人として生まれた。サルトルはユダヤ人として生まれたかったと願
望した)

要するに、サルトルもランドも全く〝時流に乗った人間〟であった。彼らの
哲学は、まさしく没落しつつある勢力に挑戦することなく、逆にそれを防衛
し、推進するものであった。
それ故にこそ、彼らの哲学は、時代の寵兒(ちょうじ)となったのである。

サヴィトリ・デヴィは、前出の二人とは、反対に、時流に抗して生きた女性
であった。彼女は、暗黒時代には、脚光を浴びることなく、有名とはならず、
無名のままであった。しかし、彼女は、来るべき次の黄金時代に、さう成る
であろう」と。

◯R・G・フォーラーは、
こんな風に、一九〇五年生まれの三人の現代西洋の代表的思想家を評して居る。

◯ここで、
暗黒時代(ダークエージ)と、
黄金時代(ゴールデンエージ)と、
この二つの時代が出て来る。

◯これは、サヴィトリ・デヴィが信奉するインドアーリア思想の用語だと言う。

◯それによると、歴史は四つの時代を循環すると。

◯ピークは、黄金時代である。

◯黄金時代は二段階を経て転落し、没落して行く。

◯そのドン詰まりは、ダークエージ(暗黒時代)である、と。

◯サヴィトリ・デヴィは、現代をダークエージと見る。

◯いや、正確に言えば、ダークエージのそのダーク(暗黒)が、ますます、
まっくらヤミに転落して行く、時代であると。

◯この時代が、「マン(又はウーマン)・イン・タイム」であると言うことは、
何を意味するか。

◯サヴィトリ・デヴィは、
「ユダヤは、ダーク・エージ(暗黒時代)の道具である」、と言う。

◯サヴィトリ・デヴィは、

ヒットラーは、暗黒時代のその暗黒が、まっくろなくらやみへと煮詰って行く
この時代に生まれて、その時代に抗して生きた人間であるとする。

(了)

【註】

◎サヴィトリ・デヴィは、一九三二年、ヨーロッパからインドに移住し、
インド人と結婚した。そして、インド風の名前(サヴィトリ・デヴィ)に変えた。

◎彼女の主要な著作は、すべて、この名前で書かれて居る。

◎サヴィトリ・デヴィは、インド・アーリア的循環歴史観によれば、
暗黒時代は暗黒化が究極まで進行すると、新しい黄金時代に転化する、と。

 




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