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大澤真幸(京都大学大学院教授)曰く。

資本主義は普遍性がある、しかし社会主義には、普遍性はない。
従って、資本主義は、社会主義に取って代られることはない………と。

この見方のどこに誤まりがあるのか?

公開日時:2008年08月01日 00時42分
更新日時:2008年08月01日 09時22分

平成二十年(二〇〇八年)七月三十一日(木)
(第二千五百回)

◯大澤真幸(京都大学大学院教授)と言う学者が、最近の東京新聞に
  寄稿した論文の中で、

◯資本主義が危機に陥っても社会主義がそれに取って代わるような状況に
  ならないのは何故か。

◯それを問題とした。

◯この人の解答は、
  資本主義は普遍性があるが、

◯社会主義には、資本主義に匹敵する、またはそれを超える普遍性がない。

◯そのために、資本主義が行き詰まっても、資本主義が社会主義に交代する、
  とはならないのだ、と。

◯このひとは、
  「京都大学大学院」の「教授」だそうである。

◯しかし、端的に言って、この人は、「白痴」にひとしい。

◯こんな「白痴」の「教授」に教えられる「学生」は、白痴の二乗、三乗に
  下落して行くしかない。

◯「資本主義」はなんとなく生れたのか。

◯そんなことはあり得ない。

◯資本主義の源泉は、R・D・ウイリングが言うところの
  「宗教としてのマネー」である。

◯大澤と言ふ、自称「教授」、実は単なる「白痴」。

◯このひとが、「資本主義の普遍性」と称する現象の実体性は、「マネー」
  である。

◯しかし、何が「マネー」に普遍性を与えて居るのだろうか。

◯それは、ウイリングの言うところの「究極の宗教としてのマネー」、
  マネーの宗教性、である。

◯マネーは「究極の宗教」であるとウイリングは言う。

◯キリスト教も、イスラムもその他いかなる大中小の宗教イデオロギー、
  宗教教団組織なども、すべて、限定的である。

◯それらは普遍性は持たない。

◯しかし、究極の宗教としてのマネーは、
  普遍的である、とウイリングは言う。

◯十五、六世紀以降、
  西洋に生れた多くの社会主義、共産主義イデオロギーは、

◯マネーの問題を取り上げなかったか?

◯いやそんなことはない。

◯西洋に生れたイルミナティのエージェント、正真正銘のサタニスト、
  マルクス、エンゲルス、レーニン以前の社会主義、共産主義思想の中
  の或るものは、

◯「マネーの廃絶」を打ち出した。

◯それではこの話は、結局どんな結果になったのか。

◯彼らは、イルミナティによって用意された迷宮に入り込むのである。
  又は、迷宮へと誘導されたのである。

◯ここで、我々は、ユースタス・マリンズ著「民間が所有する中央銀行
  (英文原著、FRBの秘密)」(面影橋出版)を、

◯そして更に、ザルレンガ著「失はれたマネーの科学」(未邦訳)を、

◯更に、R・D・ウイリング著
  「マネー-第十二番目の究極の宗教」(二〇〇八年一月、五月)を、

◯参照しなければならない。

◯大澤某、
  これは単なる白痴と言うのみでない。

◯この種の自称「学者」は、
  意識するにせよ、しないにせよ、どちらにしてもイルミナティの
  エージェントの役割を果して居ることを、明確に認識しなければ
  ならない。

  (了)

 




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