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「国賊陸軍統制派」(永田以下)の陰謀の一端が闇の中から奇跡のようにして今、出現した。
―昭和十一年五月、六月、陸軍省極秘文書「国政刷新要綱案」及び同「別冊」―

公開日時:2008年07月17日 23時34分
更新日時:2008年07月18日 00時02分

平成二十年(二〇〇八年)七月十七日(木)
(第二千四百八十五回)

◯山口富永著「二.二六事件の僞史を撃つ」(平成二年八月、国民新聞社刊、
 絶版。コピー本は日本義塾出版部で取り扱い中)

◯その二百十二頁~二百二十六頁。
 「国家改造のプログラムと戦争計画書」

◯この極秘の陸軍戦争計画書について、次のようなことが述べられて居る。

  (1)永田鉄山が陸軍省軍事課長の時代(昭和五年八月~七年十一月)に、
     永田の指揮下で、国家革新と戦争指導計画の計画策定が始まり、

  (2)その後、永田が陸軍省軍務局長に就任して、十年八月、永田が
     相沢中佐に斬殺されるまで、この策定は続いた。

  (3)その策定に当たったものは、永田以下、
 
     東條英機 今村均 武藤章 富永恭次 下山琢磨 影佐禎昭
     池田純久 四方諒二 田中清 など、

  (4)これら約十名が「統制派」の実体である。

  (5)当初は、暴力革命路線であったが、

  (6)のちに、合法的に、議会から授権を受けて強力な統制経済へ。

  (7)二・二六事件を利用して、陸軍統制派は一挙に合法的クーデター、
     合法的権力奪取に出た。
 
  (8)その表現が、

     「国政刷新要綱案」昭和十一年六月、陸軍省 極秘
     「国政刷新要綱案別冊」昭和十一年五月 陸軍省 極秘

     であり、

  (9)「帝国国防方針」改定(昭和十一年六月三日)

 (10)「帝国外交方針」(昭和十一年八月七日)極秘 など

◯「国政刷新要綱案」「同別冊」は、
 いずれも極秘で、戦後も闇の中に消えたが、

◯一九九〇年代に入って、それが、古本屋に出た。

◯それを、追手門大学の山中永之祐教授が見つけて購入し、

◯大学紀要(追手門経営学論集、第二巻第一号 1996年6月号)に、
 山中教授の解説付き資料として公表した。

◯山口富永先生は、この「追手門経営論集」(1996年6月号)を、
 相沢正彦氏から寄贈されたとのことで、
 
◯最近筆者(太田)は、それをお借りして、問題の資料、解説部分、約百頁
 のみを、研究資料用にコピー本を作成したので、希望者に頒布する。
 (一部千円プラス送料)

◯申し込みは、日本義塾出版部へ、
 「一九三六年の陸軍省『国政刷新要綱案』と『国政刷新要綱案別冊』」

◯この「要綱」は、陸軍省が作成した機密文書、と言うが、

◯その内容は、
 陸軍省の合法的権限など、てんから問題外である。

◯国政のすべて、
 産業、金融、教育、外交、その他すべて。

◯こんな尨大な内容のものが、昭和十一年五月、六月、一夜のうちに出来ることは、
 あり得ない。

◯昭和五年、永田が軍事課長に就任して以来、着々と極秘のうちに陸軍統制派
 によって策定された、その成果であるだろう。

◯この「資料」は、闇の中に消えた統制派の陰謀の一端が奇跡のようにして明るみ
 に出たのである。

◯ここに、有志の注意を喚起したい。

 (了)

 




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