平成二十年(二〇〇八年)七月九日(水) (第二千四百七十七回)
◯七月六日(日曜)、英国下院補欠選挙に立候補したアイクは、選挙のための 公開大政治集会を選挙区で開催した。
◯彼はもちろん、この選挙区を含む全英国の地域で、いかなる政治組織にも 所属して居らず、彼自身の政治組織も持って居ない。
◯アイクのウエブサイト davidicke.com の呼びかけたきわめて短期間の 準備で、四百人の選挙区の市民がアイクの演説を聞くために集まったと。
◯そして、アイクは、そこで三時間半、大熱弁を展開したと。
◯ 「アイクを信じて居ても居なくても、デーヴィッド・アイクは長時間、 聴衆の心をつかんで離さないで置くことの出来る、きわめて少数の 人々の中の一人である。」
「ビッグブラザーの国家を弾劾する彼の三時間半の演説は、聴衆を魅了 した」と。
◯ 「会場の空気は完璧に電気的衝撃で震えた。……」
◯ 「デーヴィッド・アイク。彼は、政治家であるにはあまりにも知的 (インテリジェント)であり、誠実である。……」
◯ 「今や、ゆっくりと、民衆は、大いなる眠りから目覚め始めた。……」
◯イングランドの最北端、そのすぐ先はスコットランド、 と言うこの選挙区で、
◯今まで、アイクについて殆んど何も知らなかったような人々が大部分、 またはすべて、と言う地区で、こうした情況が生じたと言うことは、
◯全英国で、同じような変化が生じる可能性がある、
◯事を物語るであろう。
◯我々が、二〇〇七年八月末、アイクを日本講演に招待すべく決断したことは、 大正解であった!!
◯と、今、感じて居る。
◯私は、一年の準備期間を見て、二〇〇八年十一月頃の日本講演をアイクに 相談した。
◯すると、彼は、
◯即座に、二回目の東京講演を承諾したのみならず、
◯二〇〇八年十一月でなく、 二〇〇八年一月か二月はどうか、
◯と言って来た。
◯そのときの我々の微力では、六カ月後の二〇〇八年二月、四百名の会場での アイク東京講演会を成功させることは不可能ではないか、
◯とも思えたが、
◯我々は、二〇〇八年二月十一日の第二回東京講演会を、見事に成功させた のみでなく、
◯この二月の日本講演旅行は、 ロイヤル・アダムスの前代未聞の卑劣きわまりない裏切りの重圧によって 押し潰されそうな情況にあったアイクが、
◯彼のエネルギーを爆発させてより高い次元に解放させ、飛躍する契機と成った ように私は見える。
◯ "first time ive seen david icke speak the man was brilliant the truth resonated never heard anybody talk so much sense well done david, a true leader. "
◯ウエブサイトに公表されたばかりのこの英語。 これを、今のだらけ切った日本の言語に翻訳することは難しい。
◯ 「私は、デーヴィッド・アイク、この男がかくも見事に真実を語るその現場を、 始めて見た。そして彼の真実を語ることばが、真実と共鳴して鳴り響くのだ。 私は、他のいかなる人のことばからも、かくの如き感動を受け取ったことは 未だかつてない。デーヴィッド!!
あんたの講演はセンスにあふれていた。良くやった!! アイク、本物の本当の我々のリーダー!!」
◯これは、ずい分と意訳したが、私はこんな風に受け取る。
(了)
|
Write a comment