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半藤、保阪、中西輝政、加藤陽子などの論者による「皇道派」の少々の肯定的評価がなされていた(『文芸春秋』二〇〇五年十一月号座談会)ことに気付く。

公開日時:2008年06月04日 23時53分
更新日時:2009年03月02日 22時49分

平成二十年(二〇〇八年)六月三日(火)
(第二千四百四十一回)

◯月刊「文藝春秋」二〇〇五年十一月号。
 のちに、文春新書「あの戦争になぜ負けたのか」(2006年5月刊)、
 第一部所収。

◯これは、以下の六名による座談会である。

 (1)半藤一利
 (2)保阪正康
 (3)中西輝政(京大教授)
 (4)戸高一成
 (5)福田和也
 (6)加藤陽子(東大助教授)

◯前掲書、九十一頁以下、

  【半藤】私は昭和十一年の二・二六事件以降、中央の陸軍将官の
  レベルがガタンと落ちたと思っています。統制派と皇道派の争い
  の結果、二・二六事件の首謀側として皇道派の軍人が中央からはじ
  き出されてしまいました。事件後に[陸軍に]残ったのは二流将官
  ばかりで、明らかに能力的に落ちる人が多い。……
  ・・・・・・・・・・・・・・・
  【保阪】二・二六事件後、「皇道派ないしその系列の者は、東京
  から何キロ内には絶対に入れない」といわれましたね。こういっ
  た粛軍人事も、全体として陸軍人事に歪みを引き起こしました。

  【半藤】たとえば、スエーデンに赴任した小野寺信大佐は皇道派で
  したが、実に優秀でした。彼は、スエーデンで懸命にヨーロッパの
  情勢判断を行なって日本に的確な情報を送っている。
  ・・・・・・・・・・・・・・・
  【中西】実は、皇道派の軍人のその後を見ていくと、よき情報将校
  になっていたり、戦場でも戦士としては、すぐれた軍人が多かった。
  山下奉文がその代表格です。

  【半藤】柳川平助もそうです。

  【加藤】皇道派のリーダー格だった荒木貞夫に対しては、ソビエト
  に対して、「竹槍で戦うのだ」などと言ったとかで彼を軽蔑する
  空気がありました。

  しかし、小畑敏四郎など荒木周辺の皇道派系の軍人たちの思想を
  洗っていくと、武力戦だけが戦争だと考えていない部分で、真の
  意味での総力戦がわかっていたのではないかとも思います。

  それこそイスラム教勢力の活用、宗教や思想の利用といったところ
  にまで、目配りをしていました。皇道派系の軍人のある意味での
  柔軟さがよくわかります。
  
  【中西】逆に統制派的志向に傾き始めると、それまでは、幅広い能力
  のある軍人だったのに、戦士としての質が急速に低下しているように
  思います。……」

  以下省略。

◯ここのところはきわめて重要である。

◯しかし、実は、「文藝春秋」二〇〇五年十一月号を読んだとき、
 この部分は、読み落として居り、全く印象にも残っていない。

◯最近、山口富永先生に指摘されて、気付き、そしてこの座談会が、
 後日、文春新書版に収録されたことも、知らなかった。
 
◯つまり、その頃の筆者には、
 「皇道派」についての正しい知識と適切な関心が、ゼロに近かったのだ、

◯はなはだお粗末な次第である。

◯私のこの無知は、恐らくは「統制派」的言論思想に洗脳された
 現代日本人に、共通するところのものであろう。

◯しかし、
 この一月下旬、山口富永先生の存在を知り、その指導を受けて、

◯ 山口富永著「昭和史の真相」
  山口富永著「二・二六事件の偽史を撃つ」
  真崎勝次著「亡国の回想」
  真崎勝次著「隠された真相」

◯など、一連の文献を入手して熟読した現在、

◯前記座談会での、半藤、保阪、中西、加藤などの人々の論、

◯こんなものは幼稚園児以下!!
 であることを、すぐに私は了解した。 

◯単に、幼稚、と言うのみでない。

◯「二・二六事件の首謀側としての皇道派の軍人」(半藤)

◯と言う規定。

◯これは、売国奴!!
 以外の何物でもない。陸軍統制派のデマゴギーそのものであること
 を知らなければならない。

 (了)

 




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